1985年(昭和60年)12月2日、初めての紅白歌合戦への出場が決定。
1985年(昭和60年)、第36回紅白歌合戦に1回目の出場し、「愛人」を歌唱。
1986年(昭和61年)、第37回紅白歌合戦に2回目の出場をし、「時の流れに身をまかせ」を歌唱。
1991年(平成3年)、第42回紅白歌合戦に3回目の出場。ふたたび「時の流れに身をまかせ」を歌唱。
この3回目の紅白出場に関して、次の記述がある。
一九九一年、五年ぶりの紅白に出場するテレサが来日したのは、十二月二十六日のことでし た。香港を経由しての来日です。空港には、副社長をはじめ、トーラス宣伝部のスタッフと一 緒に出迎えに行きました。
テレサはステファンを同行していました。 私は、懐かしい歌手みたいですねと言ったテレサを案じていましたが、何ヶ月ぶりかで空港 で会ったテレサは晴れがましい表情をしていました。曲は五年前のヒット曲でも、紅白に出場 するということ自体が歌姫としての自信を取り戻させていたのかもしれません。あるいは、日 本の国民的行事を知らないステファンに 『紅白歌合戦』 の意味を説明しているうちに、テレサ のなかで憂いが消えていったのでしょうか。
(中略)
NHKホールでは、第四十二回紅白歌合戦が始まっていました。
テレサと私は、ホールから少し離れた専用の楽屋でモニター画面を眺めていました。ステファンは、一瞬の表情も撮り逃すまいとシャッターを押し続けています。
一九九一年の総合司会者は山川静夫アナウンサー、紅組司会は浅野ゆう子さんでした。紅組の松原のぶえさんが紹介されるのと相前後して、NHKのディレクターが楽屋のドアをノックしました。時刻は、午後十時をすぎていたころだったと思います。テレサの出演は、紅組では後半の十一番目でした。
「いよいよですね。行きましょうか、鈴木さん」 私を見て微笑むと、テレサは座っていたソファーからゆっくりと腰を浮かせました。
ステファンは、楽屋で待つと言います。テレサが楽屋を出る直前に最後の一枚を撮ると、三脚やストロボの後片づけを始めました。
(中略)
テレサは、ノースリーブのチャイナドレスに肘までを覆うパーティー用の赤い手袋をはめて いました。テレサが持参した三着のチャイナドレスのうちの一着でした。まだスリムだったこ ろの体型にあわせて採寸されたものだったので、このときのテレサにはちょっときつめでした けど、シルクのチャイナドレスはいずれもお母さんがオーダーメイドで用意してくれたもので した。
(中略)
浅野ゆう子さんに紹介され、テレサは背筋を伸ばしてステージを歩きはじめました。スポッ トライトに照らされて、シルクのチャイナドレスがきらきらと輝いています。やがてイントロ が流れると、テレサは会場全体を見渡し、歌い出しにあわせて深く息を吸い込みました。 静まり返った会場に、テレサの歌声が響きました。クリスタルボイスと謳(うた)われた、透き通るような声音です。その模様を、私は待機しているスタッフのために置かれていたテレビ画面で 見ていました。画面には会場のお客さんが映し出されました。食い入るようにステージを見つ め、なかには、一緒に口ずさんでおられる方もいらっしゃいます。
「純情歌姫 テレサ・テン最後の八年間」(鈴木章代・著)より
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