15周年香港巡回演唱会@红磡体育馆(1983年)

 東南アジアツアー初日1983年12月29日の、香港でのコンサート。会場は香港红磡(ホンハム/红勘)体育馆(ホンコン・コロシアム/紅館?)で、のべ10万人が来場した。

 その年の12月には香港コロシアムでも15周年記念コンサー トが開催されています。当日のチケットは2日間で売り切れるという盛況ぶりで、4回の予定だった公演を6回に増やし、約10 万人の人が集まったといわれます。もちろん香港の観客だけでなく、大陸からはるばるやってきたお客が全体の30%を占めたと いうのです。このときのショーは香港のコンサート記録をすべて 塗り替える記録的なコンサートになったのです。

大歌手と一演歌歌手の落差(EJ1615号)

 一九八三年十二月二十九日。 
 ついにコンサートが初日をむかえた。最後部の特設シートは高さ二十五メートル。巨大なすり鉢状の会場に立錐の余地もないほど観客が押しよせ、開演前からただならぬ熱気がたちこめていた。
 髪をグラマラスにセットして大人の女性の魅力にあふれた鄧麗君がステージに姿を見せると、客席から感極まったどよめきがおきた。第一部はヒット曲を中心に構成されていて白いタフタのドレスやラメを散らしたチャイナドレスなどつぎつぎに衣装を替えながら、ダンサーを従え、ヒット曲を披露する彼女は自信に満ちて輝いて見えた。 
 第二部ではビーズの揺れるミニドレスに着がえ、マイケル・ジャクソンの 『ファイア』 や『フラッシュダンス』 のほか、おおくのミュージカルナンバーをこなし、一年半にわたる米国での研鑽の成果をフアンに印象づけた。 
 第三部は、ふたたびチャイナドレスに着替えて中国の歌を熱唱し、曲の合間に普通話、広東語、潮州語、福建語をつかいわけて、香港、シンガポール、台湾、インドネシア、タイ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、世界各国からやってきた華人フアンに向かってあいさつする。 
 「……それでは大陸から来てくださったお客さま!」 
 彼女が普通語で客席に話しかけると、かなりの数の手が熱狂的に振られた。
 当時の中国大陸では改革開放政策の反動から、精神汚染一掃キャンペーンが展開され、鄧麗君の歌も禁止措置をうけていた。にもかかわらず、のべ七万人の観客の二〇パーセントにあたる一万人以上の人々が、大陸からこの会場にやってきていた! 
「同胞のみなさんに、拍手を!」 
 彼女がうながすと、会場から大歓声と拍手が巻きおこり、それがドームに反響して地鳴りのように観客をつつんだ。いつまでも鳴りやまない拍手をおさめるようにフルバンドの前奏がはじまり、宋代の古詞『獨上西樓』(トウシヤンシーロウ)(ひとり西楼に上る)のメロディーがスタジアムに流れる。 
(歌詞と和訳 略) 
                         (詞・李燈 作曲・劉家昌) 
 この詞の作者の李燈(リー・ユー)(九三七~九七八)は五代南唐の最後の王で、宋によって国を滅ぼされたのち獄死した悲劇の人だった。壮絶なまでの寂蓼感を知的に表現した作品を数多く残している。 
 その李燈の『獨上西樓』に現代の作曲家が曲をつけ、それを鄧麓君が切々とした表現力で歌いあげたのである。一千年の時空をこえて宋代の古詞がみごとによみがえりノスタルジアがうねりのように広がり客席に熱い一体感をよびおこしてゆく……。 
 ラストナンバーはやはり『何日君再来』だった。会場を埋めた観客は総立ち状態。あまりに歓声が大きくて鄧麗君の歌声はほとんど聞こえない。日本人ミュージシャンによるフルバンドの演奏だけが耳に残った。歌いおわった彼女は何回も何回も「謝謝」をくりかえし、手をふりながらバックステージに消えていった。 
 この高揚した空気に日本の取材陣はどう対応してよいかわからず、会場のどよめきのなかで息をひそめていた。いったい何がおこったのかがわからなかったのだ。すくなくとも舞台の上の彼女は、われわれがよく知っているつもりの「テレサ・テン」ではなかった。観客たちの興奮とともに、香港のコロシアムのステージから伝わってき たのは、国境をこえて華人社会に浸透している鄧麗君の存在感と、自分たちが等しく 中国人であるということへの観客たちのつよい誇りと連帯感、だった。

『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』(平野久美子)


 僕がテレサのステージを観たのは「香港コロシアム」で、そこは約一万三〇〇〇人の観客を動員できる、香港一の大きなステージだった。日本の武道館と同じように、ステージ を囲んで三六〇度に客席が設置され、それはアリーナ席から一階席、二階席、三階席まで ある。 
 テレサのステージの当日はその客席いっぱいに観客が詰め込まれていた。 
 まだスポットライトのあたっていないステージを囲んで、広く薄暗い客席は、興奮と期待に満ちてざわめいていた。 
 僕はテレサが特別に用意してくれた一階中央の席で、ステージの開始を待っていた。隣では、通訳の斉(さい)さんという男性がしきりにテレサのステージのことについて話してくれた。 
 驚いたことに、ここにいる一万三〇〇〇人の観客のうち、およそ三〇〇〇人が、わざわざ中国本土からやって来たというのだ。年末のニューイヤーホリデーを利用して、中国本土からテレサのステージを観にやって来る三〇〇〇人もの人々。テレサは、この会場を満杯にし、七日間もステージを行ったのである。そんなにもテレサの人気はすごいものだったのか。僕は初めて気づかされた。 
 ステージは一時間押してはじまった。ステージ上が薄暗いライトからはっきりと明るいライトに変わると、観客からいっせいに拍手が起こった。 
 その拍手は、さざ波のように香港コロシアムのなかを流れ、しばらく鳴りやまない。僕は一階中央の席で、その熱い拍手の波に呑み込まれるような思いを味わった。観客の熱狂ぶりはすごかった。 
 そして拍手のなかにテレサが現れ、歌いはじめる。観客はそれまで以上に興奮する。それは僕自身を含めてだった。 
 ステージのテレサは輝きを放っていた。女性としての美しさと、歌手としての華やかさとプロの貫禄を備えて。テレサはステージ上で驚くほどのパワーを発揮した。 
 このステージで、僕のなかにあったテレサのイメージが一八〇度ひっくり返ってしまった。一〇年前にテレサが日本で歌っていた歌とはまるで違う。
 そのステージで彼女が歌う曲は演歌ではなく、パワフルでダンサブルなポップスだった。歌もステージ衣装も舞台も構成もすべてにおいてポップスだった。 
 曲が終わるたびに、さざ波のような拍手がくり返される。 
 一曲一曲が終わるごとに観客はどうしようもないほど興奮し、ため息をつき、感動していた。 
 やがてテレサはリクエストに応えてアカペラで歌いはじめた。すると少しまえの拍手の渦が嘘のように、場内は静寂に包まれた。その静けさのなかにテレサのクリスタルボイスが優しく響いた。 

『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)

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1.漫步人生路(粤) 

2.独上西楼 

3.夜来香 

4.海南姑娘(组曲) 

5.难忘的初恋情人(组曲) 

6.千言万语(组曲) 

7.原乡情浓(组曲) 

8.奈何(组曲) 

9.水上人(组曲) 

10.云河(组曲) 

11.原乡人(组曲) 

12.甜蜜蜜(组曲) 

13.但愿人长久 

14.遇见你(粤) 

15.Every Breath You Take 

16.Beat It 

17.小城故事 

18.东山飘雨西山晴(粤) 

19.忘记他(粤) 

20.Flash Dance...what a feeling 

21.月亮代表我的心 

22.你怎么说 

23.何日君再来 

24.漫步人生路(粤)


上の曲目リストになぜか含まれていない"FIRE"。

3:40でセリフが入る。




On Teresa Teng

2018年。今頃になって、突然テレサ・テンのファンになりました。 テレサ・テンの人となりや、そしてもちろん歌も知りたいと思い、分かったことについて、自分のためにまとめていきます。

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