中学校中退

(現在の金陵女中)


 テレサ・テンは1965年秋(日本と異なり、9月に新学年が開始する)、12歳で中学校(私立・金陵女中)に入学した。

 しかし14歳で学校を辞めざるを得なかった。毎日のように夜遅くまで歌っていたので、翌朝学校に行くことができなかったから。

 パスポート事件で台湾に戻れずアメリカに渡ったときには、喜々として大学(UCLA)の聴講生として学んだ。


14歳で学校を辞めたテレサ・テンだが、とても聡明な人物だったことが伝わってくる。彼女は「最も人生の中でやりたいことは」と質問されると、いつも「勉強」と答えていたという。どの分野でも長期にわたって成功する人物は、学歴に関係なく、確かな聡明さを持ち合わせていることがわかる。
 たとえば語学。テレサ・テンは語学の天才だったかのように言われてきた。中国語、台湾語、広東語、日本語、英語、フランス語、インドネシア語を程度の差こそあれ、日常会話は不便のないほどには使いこなせたからだ。実際は、いつも滞在する国の辞書を持ち歩き、気になった表現や覚えておきたい言葉をノートに丁寧に書きとめていた。展示されていた大量の使い込んだ辞書や古ぼけたノートが努力の跡をしのばせる。
東洋経済 ONLINE http://toyokeizai.net/articles/-/13449



 十四歳のとき、鄧麗君は台北の私立金陵女子中学校を二年で中退し、歌手活動に専念する決心をした。中退にいたるきっかけとなったのは、当時すでに多くの時間を歌手活動にあてていた鄧麓君の生活状態にあった。このままでは学業との両立は困難と判断した学校側は、学業か、歌手活動か、どちらか一つを選択するようにと鄧家に申し入れる。それに対し気性の激しい父親がよけいな干渉とつよく反発、学校側と対立してしまう。結局、この話し合いは双方に感情的なしこりをのこし、やむなく中退という結論がだされたのだった。
 だが、義務教育も満足にうけず歌手の道へすすんだことのマイナスは、のちに鄧麗君自身がつよく自覚していたように思われる。「勉強」「チャレンジ」と言いつづけた彼女の姿勢には、学歴コンプレックスをのりこえようとする意志のようなものがうかがえる。さまざまな外国語の熱烈学習、留学への憧れなど、一生変わらずもちつづけた向学心もそのことを裏づけている。  

『華人歌星伝説 テレサ・テンが見た夢』(平野久美子・著)

 黒柳徹子のこのインタビューでは、退学時期を「中学入って、1年の上半期かな」と言っており、定説の「2年で中退」と、時期が異なる。

http://www.teresa-teng.org/people.php では、「1965 12歲 就讀金陵女子中學」「1967 14歲 自金陵女中休學」としており、2年生にまでは進級していることになる。


 なお、当時台湾では中学校は義務教育でなかった。


On Teresa Teng

2018年。今頃になって、突然テレサ・テンのファンになりました。 テレサ・テンの人となりや、そしてもちろん歌も知りたいと思い、分かったことについて、自分のためにまとめていきます。

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