♪「悲しみと踊らせて」

1991年(38歳) 2月27日シングル「悲しみと踊らせて」発売


1991年


歌唱時期不明


1991年9月1日<放送>


991年<放送> 「歌謡リクエストショー」


 「悲しみと踊らせて」について、鈴木章代氏は次のように述べている。

 しわ寄せは、次の新曲『悲しみと踊らせて』でやってきました。 
 シンガポールで行なわれたレコーディングは、年を越した九一年一月です。パリではバンド の生演奏にあわせ、テレサも一緒に歌を録音するスタイルでしたが、シンガポールでは以前の やり方に戻していました。あらかじめ用意した“オケ”に歌を吹き込むというものです。 
 レコーディング直前になってオケをつくりなおす必要性に迫られ、徹夜続きでオケの作製に 関わったというハプニングはありましたが、このとき、私がレコーディングに立ち会うことは許されませんでした。
  「鈴木さん、どうしてシンガポールに来てくれなかったんですか」
  「すみません。急にオケをつくりなおすことになっちゃって、へとへとで行けなかったんです」 
 そんな言いわけをしました。行かなくていいと言われたことは、言えませんでした。
 「今度の新曲は難しかったです。テレサ、あまり上手に歌えませんでした。どうでしたか、鈴木さんが聴いて」
 「そうですねえ……」
 どう応えるべきか、私は迷ってしまいました。
 正直なところ、できあがったマスターテープを聴いて、ちょっと驚いていたのです。
 テレサは、ずっと何かを探るような、不安そうな声で歌っていました。テレサのよさが少しも引き出されていない仕上がりでした。
 おそらく、シンガポールに飛んだスタッフは、細かい部分までテレサの練習につきあわなかったのではないでしょうか。テレサは、全く歌い切れていませんでした。よくこんなテイクで OKを出したな、と思えるくらい不安定な歌い方なのです。
 「すみませんでした。私が行ければよかったんですけど」
 「そうですよ。鈴木さんにいてもらえないと、テレサ、困りますよ」 
 何となく嫌な予感はしていました。
 この曲は売れないような気がしたのです。曲はすごくいいのに、テレサのそっくりさんが一生懸命にテレサの真似をして歌っているような印象は最後まで拭い切れませんでした。
 案の定と言うべきなのでしょう。二月に発売された新曲は売れませんでした。オリコンチャートも、下位のほうにちょっと名前が載っただけで、ほんの数週間でランク外に消えてしまいました。累計で五万枚も売れたかどうかという、惨憺たる結果でした。
 この時期、テレサの来日はほとんどありません。かつてなら、テレサが来日すれば、オリコンチャートの順位も一気に何十位とあがったりもしたのですが、歌番組やワイドショー、雑誌の取材などで新曲を披露する場がなかったことも、テレサにはマイナスだったのかもしれません。 

「純情歌姫 テレサ・テン最後の八年間」(鈴木章代・著)

On Teresa Teng

2018年。今頃になって、突然テレサ・テンのファンになりました。 テレサ・テンの人となりや、そしてもちろん歌も知りたいと思い、分かったことについて、自分のためにまとめていきます。

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