1990年(37歳) 2月28日シングル「涙の条件」発売(テレビ朝日系“火曜ミステリー劇場”テーマソング)パリ録音
「涙の条件」について、鈴木章代氏は次のように述べている。
一九九〇年、パリでのレコーディングに臨んだ『涙の条件』は、不発に終わりました。
生産枚数では十五万枚をプレスしたはずですが、実売は十万枚に届いたかどうかという数字 だったと思います。
大ヒットを記録した『時の流れに身をまかせ』の売り上げが二百万枚、それに次ぐ『つぐな い』『愛人』『別れの予感』の百五十万枚と比べても、テレサの曲の売り上げは一気に十分の 一にまでさがっていました。
売れ行きは落ちても、そのころの私には焦りはありませんでした。
『涙の条件』は、テレサが自分のつてをたどって集めたミュージシャンで録音した曲です。
テレサがやろうとしていたことが日本のファンには伝わりづらかったのだろうくらいの考え しかありませんでした。
私はまだ、テレサの輝かしい経歴と栄光に頼っていたのです。
「テレサの新曲、売れてますか」
「焦らなくても大丈夫ですよ。もう少し待てば売れますから」
曲が発売された春から夏にかけて、テレサからひっきりなしに電話がかかってきても、そのたびに大丈夫だと応えていました。
これまでもそうだったのですが、テレサの曲はオリコンチャートの上位にランキングされる という売れ方ではありません。平均すれば三十位から五十位のあたりに、でん、と居座るよう に、長く長く売れるのが特徴でした。他の歌手の曲が一気に売れ、そのうち圏外に消えても、 テレサの曲はまだチャートに残っていました。
春にリリースされたこの曲もそうだと思っていました。
だからテレサには、もう少し待ちましょうと言い続けたのです。ですが、夏を迎えるころに 『涙の条件』は思いのほかに早-圏外に消えていました。
おかしいなと首をかしげながらも、パリでレコーディングした曲が売れないはずがないのに、 という気持ちのほうが強かったと思います。いまになればわかります。私には思い入れが強す ぎたのです。
「純情歌姫 テレサ・テン最後の八年間」(鈴木章代・著)
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2020.10.10 15:02
2020.10.10 12:14