一万人以上の観客のまえで堂々と歌う一方で、どうしようもないほど純粋に緊張 してしまうこともあったのだ。
(中略)
それは、テレサが日本での再デビューを果たし、ようやくの思いで出演が決まったある テレビ番組の生出演のときだった。
はたから見れば、何度もテレビ出演をこなす歌手たちにとって、テレビ出演は日常のな かのワンシーンにすぎず、とりたてて緊張することもないだろうと思いがちだ。たしかに そういう歌手もなかにはいるのかもしれないが、テレサは違った。一回ごとにテレビ番組 で歌うことに緊張し、感動さえしていたように思う。
久しぶりのテレビ出演はとくに緊張するものだったのだろう。
生放送直前になってテレサがいきなり、
「西田さん、歌詞を忘れちゃった。どうしよう?」
といってきたのである。
「自分の歌をきちんと歌えなかったらおかしいよ」
「普段ならきちんと歌えます。だけど緊張してしまって……」
こんな情けないことをいいだしたのだ。自分の歌でカンニングペーパーを見ながら歌っている歌手などいやしない。放送局のスタッフの手前もある。これには困ってしまった。
ようやく考えたあげく、僕がカメラの脇で、歌詞をジェスチャーで示すことになった。それは『つぐない』だったが、〝少し煙草も控えめにして″という歌詞なら、口元で煙草を吸っているジェスチャーをする、〝子どもみたいなあなた″だったら、子どものような無邪気なふりをする、というふうにしながら。
ずいぶん不格好だったに違いない。だが、テレサも僕も必死だった。
テレサはこんな不器用で純粋なスーパースターでもあったのである。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
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