だが、テレサを含めた多くの中国人の願いも空しく、チャリティーコンサートの八日後 に、あの天安門事件は起こってしまったのである。このときのテレサは怒り狂い、苦しみ、 悲しみ、泣いていた。どうしようもないほどの興奮のしようだった。
テレサにしてみれば、自分の祖国に裏切られたということなのだろう。天安門のあとも、 テレサは新聞や雑誌などで力強くメッセージを送り続けた。『愛人』や 『別れの予感』な どの曲を優しく、せつなく歌っていた同じ人物とはとうてい思えなかった。
(中略)
天安門事件が起こった日から、彼女は毎日腕に黒の腕章をつけるようになった。車にも黒い旗をつけ、そこには “ BLOODY MURDER(残虐な殺人)” という文字を書 いた。腕章は、天安門事件で殺された学生たちと、同時に死んだ民主主義の喪に服すため のものだったのだろう。
(中略)
結果的に、テレサはこの天安門事件を機に、日本での活動がぐんと減るようになった。 何年たっても「あの日」の話になると、テレサは涙をこらえることができなかった。少な くとも天安門事件に関しては、時間がテレサを癒すことはなかったのである。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
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