「つぐない」の売れ行き。
荒木とよひさによると、この曲は東北の港町に暮らすスナックのママを描いたものだったのですが、プロデューサーの要望で都 会をイメージとしたものに書き換えられたのです。
1984年1月21日に「つぐない」は発売されたのですが、 出足は最悪で、5週間でわずか50枚しか売れなかったというのです。しかし、2月25日にテレサ・テンが来日してキャンペーンを開始すると、有線に動きが現れます。
その後、3ヶ月ごとにテレサ・テンは来日し、キャンペーンを繰り返したことにより、有線での順位はどんどん上がっていったのです。そして「つぐない」は、100万枚近くを売り上げる大ヒットになったのです。
大歌手と一演歌歌手の落差(EJ1615号)
レコード会社担当者の西田裕司氏『追憶のテレサ・テン』(サンマーク出版)に依れば、当初売れなかったのは、1)パスポート事件があったこと 2)日本出国以降、日本での活動を全くしていなかったことが、理由だろうとのこと。そもそも、レコード会社自体の雰囲気も「売れないだろう」という消極的な雰囲気だったらしい。2000枚の見本盤も段ボールに詰められたまま、なかなか持ち出されなかったとのこと。テレビ局から一切出演依頼の声がかからなかった。
そんな中、西田氏は自らの小一の娘にテレビ番組『ちびっこのど自慢』に出演して「つぐない」を歌わせたり、フジテレビ『おれたちひょうきん族』のコーナー「ひょうきんベストテン」で、「つぐない」を漫才師サブローさんに歌ってもらったり、その後、「愛人」「時の流れに身をまかせ」を採り上げてもらったりしたとのこと。
1984年(昭和59年)2月28日 赤坂ニューオータニ・クリスタルルームで活動再開を表明する記者会見兼ミニライブ。
1カ月で、わずか50枚しか売れなかった」
1984年5月20日<放送> 「ミュージックフェア」で。
1984年6月3日<放送> 「演歌の花道」で。
1984年7月5日、「ザ・ベストテン」でようやく30位にランクインし、「今週のスポットライト」で採り上げられる。このころから急激に、レコード売り上げ枚数が増えた。
1984年12月13日、第17回日本有線大賞 「有線音楽賞」「ベストヒット賞」「大賞」を獲得。
1985年1月21日 「ザ・トップテン」で。
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