テレサがめざしていたのは、完全なレコードシンガーだった。自分の歌声はレコードで聴いてもらいたい。それは決してレコードを「買ってほしい」という意識ではなかった。自分の歌は、わざわざ聴きにこいとはとてもいえない、せめてレコードを聴いてください、というテレサの謙虚な気持ちの表れであったようにも思う。
レコードを聴いてくれればいい、レコードを聴いてほしい。自分はそういう活動をして いくのだ、というはっきりとした線が引かれていた。そういう意味では、テレサは不器用な歌手だったのだろう。自分は歌だけで勝負をしていくのだ、という堅固な意志があった。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
テレサのレコードシンガーとしてのこだわりは強かった。曲が売れていく過程で、多くの人に曲を聴いてもらうためには、テレサはテレビ番組に出たり、ステージに立つことを喜んだ。
けれど、それは決しテレサの最終目的ではなかったのである。最終的にはレコードシンガーに徹することが、彼女のめざしていたスタイルだった。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
だがやはり、レコード会社が、直接歌手をマネージメントしていくことには限界がある。普通は、歌手のマネージメントは芸能プロダクションがやり、レコードについてはレコード会社が担当する。プロダクションとレコード会社が二人三脚を組んで、歌手はようやく普通の活動ができるのだった。
だからこのような賞が絡んでくると、普通はプロダクションとレコード会社が一致団結をして、受賞するために各審査員への挨拶まわりなどの根回しを、着々とこなしていくのだ。
それがテレサの場合は、われわれレコード会社のみである。テレサは彼女自身の意志で、レコードシンガーとしての活動に絞っていたから、プロダクションに所属する必要はなかった。だからレコードシンガーとして必要なマネージメントは、我々のレコード会社が組んでいたのだ。だが賞に関しては、いわば片翼飛行だった。
いよいよ部門賞発表の当日となった。テレサは「レコード大賞」 の予選があることぐらいしか知らされていない。賞をめぐって、裏でさまざまな動きがあることなど知らされていなかった。テレサにしてみれば、賞は芸能界の裏取引などをいっさい除いた、純粋なものだった。
「出られるだけでも嬉しいです」
テレサはそういって、少しだけ興奮していた。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
こんなにもレコードシンガーをめざしたテレサだったが、僕がテレサを担当した九年間で、たった一度だけコンサートを開いたことがある。
『愛人』が売れた昭和六〇年のことだ。各方面から、どうしてテレサはコンサートやディナーショーをやらないのか、という声があがってきた頃だった。
ステージをやらなかったのは、彼女がめざしていたスタイルにあわなかったからだけのことなのだが、テレサのファンや各方面から 「テレサにコンサートをやってほしい」という熱い期待が寄せられるようになったのである。
そして一度だけのコンサートを開くことになった。
いまとなっては、本当に一度きりのコンサートになってしまったのだが、このときはまさか現実にそうなるとは思っていなかった。もちろんそれほど頻繁に行うつもりは、テレサにも僕にもなかったけれど、でも本当に最後の一回となってしまった。皮肉にもそのコンサートのタイトルが 「ワン・アンド・オンリー」だったのである。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
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