同じ芸能界にいても、テレサにとってひばりさんは雲の上の存在だった。だから僕がテレサと一緒にいた九年の間にも、テレサがひばりさんと共演することはおろか、言葉を交わすことも一回もなかったのである。
だが、たった一度だけテレサとひばりさんは同じテレビの歌番組で一緒になったことがある。
その歌番組でのことだった。ひばりさんとテレサの出番には時間の開きがあり、テレサのほうが先だった。ひばりさんと同じステージに立つことはできないけれど、テレサにとってひばりさんを実際に見るめったにないチャンスだった。
テレサにひばりさんを見せてあげたい、僕はそう考えた。たまたまその番組が一〇〇席ぐらいの観客席を設けている番組だったため、テレサの収録が終わったあと、僕はテレサを客席に座らせたのである。
ひばりさんがカメラのまえに現れると、テレサはひばりさんをまっすぐな視線で凝視していた。歌うひばりさんの姿を拝むようにしながら曲を聴くのだ。
そしてひばりさんが歌い終わると、彼女はその場ですっと席を立ち、直立不動で拍手を送った。テレサはずっと立ったまま拍手を送り続けたのである。そして最後に、静かにひばりさんに敬礼をした。
ひばりさんは「この人は何だろう」という表情で、ずっとテレサを見ていた。そしてスタジオを出る直前に、テレサのほうを見て、黙ってにこっとされたのだった。
もちろん、ひばりさんがテレサに声をかけてくれることはなかったし、テレサのほうから声をかけることもなかった。けれどあのときのテレサは、十分に満足していたと思う。
たぶんテレサがひばりさんに会ったのは、これが最初で最後だった。
『追憶のテレサ・テン』(西田祐司・著)
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