1981歌谣リクエストショー●http://tieba.baidu.com/p/1560259507
および
https://www.zhihu.com/question/62351986
から、データをコピーして、順次日本語化していきます。
●( )で年齢を示していますが、1月29日生まれですので、各年1月29日以降の年齢ということになります。
【重新整理】邓丽君详细时间表(1953——1995) (第二版)
1953年(0歳)
*1月29日 雲林縣褒忠鄉田洋村で出生
1954年(1歳)
1954年6月 家族で屏東市の軍用空港近くの眷村に転居(1959年11月まで)
☆「1954年:1歲
*6月举家迁移台東縣池上鄉,之後又舉家遷往屏東機場附近的眷村居住。」とする説もある。http://www.360doc.com/content/15/0624/06/21574872_480252688.shtml
1955年(2歳)
2歳のときの写真と思われる。
1956年(3歳)
*ある日家で、私は一日中泣き叫んだ。(某一天在家门口跌倒,哭了一整天。 )
1957年 (4歳)
*民謡の歌唱を好み、近隣の住人から激励され、毎晩練習した。
(喜欢唱山歌,邻居许多人鼓励邓丽君继续努力,每天傍晚都在练习。 )
5歳とする説もある:1958年,5歲時的鄧麗君。據說,這張照是她自己一個人跑到照相館拍的。
1958年 (5歳)
*屏東市の仙宫の戏院(翔公劇場?)近くで、バレーを習う。 (至屏东市仙宫戏院附近学芭蕾舞 。)
1959年 (6歳)
1959年11月 一家で、台北県蘆洲へ転居。蘆洲小学校で学ぶ。
(11月举家移居台北县芦洲乡,就读芦洲国小 。)
1960年(7歳)
1960年 九三康バンドと初めてのパフォーマンス(1962年とする説もある)
1961年 (8歳)
*校内で歌唱。先生や級友から才能を認められる。二胡奏者の李成清氏に、音楽の指導を受ける。(接受启蒙老师李成清歌唱指导 。)
1962年 (9歳)
1962年11月16 日 九三康バンドと初めてのパフォーマンス (九三康乐队演出)
写真には「1960年」と記載されている。また、「九三空軍康乐队」とも書かれている。
最前列左端がテレサ・テン。民国51年は1962年。
1963年(10歳)
★1963年8月参加中华电台黄梅调歌曲比赛,以《访英台》获得冠军,为参赛者中年龄最小者。
1964年(11歳)
1964年 中華電台(ラジオ局)の素人のど自慢で優勝
1964年
1964年12月12日 芦洲の国語(北京語)朗読コンテストに学校代表として参加し、優勝(小学6年/11歳)
1966年(13歳) <東方飯店時代>
★*3月接受台视“艺文夜访”节目访问并演唱一曲,首次与观众见面。
★*参加正声广播电台歌唱训练班,以优异成绩毕业 。
*金馬獎レコード会社歌唱コンクールに出場し、『採紅菱』で優勝。
★1966年8月在《国之宾》初度登台
1967年(14歳) <華都時代>
★1967年2月22日在台中日月潭留影
★1967年3月开始每天由妈妈陪伴到东方餐厅献唱
★*参加慎芝的台视节目“群星会”,为第一次上电视演唱 。
★1967年4月30日东方歌厅演唱
★1967年5月东方歌厅演梁山伯
★1967年拍摄国际牌平面广告
★1967年随康乐队演唱
★1967年8月13日第一次群星会单独歌唱(以前都是组合,叫巧克力姐妹而且是客串)
1967年 9月 宇宙レコードに入り、レコーディングを開始。
★* 9月加盟宇宙唱片公司开始灌录唱片 。
1968年(15歳) <華都時代>
★1968年4月16日起在夜巴黎歌厅与金华鑫、王菲、阎荷婷共同演出短剧
★1968年4月21日下午1时在台视群星会中与其他九位歌星一起演唱由台湾省政府主席黄杰所作的四首七绝诗《春游日月潭》,由作曲家李中和谱成的歌曲
★1968年05月出版「邓丽君之歌第六集 - 一见你就笑」.
★1968年5月12日晚九时参加中广公司现场节目《丁昺仁时间》献唱
★1968年5月18日晚在中泰宾馆太平洋夜总会献唱,晚会名叫做群星会,邓丽君在晚会中演唱了《再会吧叮当》《come on my house》
★1968年5月21日起在夜巴黎歌厅演出歌剧《山歌恋》扮演村姑
★1968年6月1日参加民谣演唱会
★1968年6月16日晚在中华文化活动中心《夏季联欢晚会》中献唱
★1968年6月18日起在高雄金都乐府献唱
★1968年8月17日晚在台北中山堂中正厅为济助菲律宾震灾举办的义演义卖大会上献唱。义卖中邓丽君唱片一套卖得一万一千元
★1968年8月21日在国光饭店咖啡厅接受记者周铭秀访问
★1968年9月14日在中广公司的《周末晚会》节目中演唱《我一见你就笑》《黄色的小樱桃》《情哥哥》《吾爱吾师》
★1968年9月21日晚在台北市中山堂中正厅参加联合报创刊17周年纪念所举办的联欢晚会中演唱
★1968年9月下旬在高雄金都乐府献唱一个月
★1968年10月5日起在夜巴黎歌厅表演一档歌舞新节目《蒙古牧歌》,扮演蒙古少女。《蒙古牧歌》是一个边疆风土的舞蹈类节目 1968年10月8日晚在台北市新公园参加《后备军人之夜》晚会
★1968年10月26日起在香宾厅演出
★1968年10月底在大新公司为白花油义卖,并亲自赠送她自己的签名玉照,大家为一睹这位娃娃歌星的风采一时把大新公司挤得水泄不通!(鱼儿说:嗯,娃娃君,你很有魅力!) 1968年11月在台南音乐厅挑梁
★1968年11月下旬在高雄献唱
★1968年12月1日起在高雄金都乐府献唱
★1968年上电视台扮擦鞋童
★*於台北夜巴黎、七重天等歌厅登台,常与谢雷等前辈登台 。
★
★
1969年(16歳)
★1969年1月8日晚在省立体育馆参加纳税人联欢晚会
★1969年1月25起在台北、七重天歌厅演唱(据说因为要两边串场,每回邓丽君都是唱完一个歌厅撒腿就跑。。。另:说点题外话,据说邓丽君打保龄球的水平相当了得,能打两百多分,在当时的同行中绝对是数一数二的!所以鱼儿说:君姨也是运动健将,跑步、保龄一个都难不倒她!)
★1969年1月29日过生日留影
★1969年2月10日起在重新开业的夜巴黎歌厅登台
★1969年2月14日下午在台北国际学舍举行的迎春歌舞大会中演唱
★1969年2月16日除夕夜跑了三个晚会(晕!!!)
★1969年3月在七重天歌厅表演舞台剧「女大当嫁」
★1969年3月17日接受联合报访问
1969年3月20日 映画『謝謝總經理』の撮影開始
★1969年3月20日《谢谢总经理》开拍
★1969年3月29日晚8时主持白花油药厂在工展摊位举行义卖会
1969年5月中旬 映画『謝謝總經理』撮影クルーが、高雄「香賓」と「金都」にて歌唱ホール内を撮影
★1969年5月中旬《谢谢总经理》剧组在高雄「香宾」和「金都」歌厅拍摄内景
1969年6月14日 『謝謝總經理』撮影終了
★1969年6月14日《谢谢总经理》杀青
★1969年7月份参加音乐讲习10天
★1969年7月5日参加夫人餐厅开张剪彩
★1969年07月12日参加基隆市「交通安全宣导晚会」
★1969年7月18日参观维他露公司(为该产品拍过广告)
★1969年07月19日在「台中好人好事代表联谊晚会」演唱
1969年8月份与杨洋携手拍摄首部电影「谢谢总经理」,电影全部歌曲收录在09月出版的「邓丽君之歌第十四集 - 谢谢总经理」唱片中,而电影则于1970年05月06日起在高雄市国际大戏院作首轮献映。
★1969年8月5日起连续四天在在台北七重天歌厅举行示范演唱会,时间为每天下午二时三十分
★1969年8月7日演艺人员培训
★1969年8月25日在台湾员林玫瑰中心
★1969年9月7日 高雄・大新デパートで、ハリケーンの犠牲者を助けるための白花油販売。
1969年10月11日、中視と台湾にとって初のテレビシリーズ『晶晶』の主題歌を歌唱(この曲は「鄧麗君の歌 エピソード4『晶晶』の12月の復刻版に収録)
★1969年10月11日为中视和台湾首部电视连续剧「晶晶」演唱主题曲,歌曲收录在12月再版的「邓丽君之歌第四集 - 晶晶」内
★1969年10月23日晚七时卅分在中正堂举行的交通安全晚会中演出
★1969年10月28日下午七时卅分,在台北市中山堂由侨务委员会和台北市政府联合举办暖寿晚会中演出
★1969年10月30日中山堂献唱
★1969年12月07日台湾电视红星杨丽花等飞新加坡
★1969年12月9~11日新加坡国家剧院
★1969年12月15日由新加坡返回台湾
★1969年12月20日台北大歌厅
1969年12月27日 「救童助學運動」キャンペーンのチャリティーセールのための香港見本市に参加し、「慈善皇后」の称号を獲得。
★1969年12月27日第一次到香港去试探市场,打开香港主要场地。参加香港工展会为「救童助学运动」举行的义卖,她并获得了「慈善皇后」头衔。
1970年 (17歳)
★1970年1月4日在中国电视公司《银河星光》节目中演出
★1970年1月6日香港白花油之夜留影
★1970年1月9日香港歌剧院留影,
★1970年1月12日香港扮演《卖汤圆》,
★1970年1月19日下午四时卅分自港返台
★1970年1月20日回台北大歌厅演唱,
1970年2月12日在中国广播公司大厦三楼介寿厅举行大规模的座谈会。(中视歌星演员座谈会)
★1970年2月14日高雄金都乐府,
★1970年2月15日高雄华王饭店演唱,
★1970年2月21日世界广告公司在中泰餐馆泰国厅举行联欢晚会,邓丽君参加此一联欢晚会并献唱 ★1970年3月14日台北大歌厅演唱,
★1970年3月在台湾师大附中演唱,
★1970年4月5日设於台北远东百货公司三楼的「摩登世界」,於今日下午正式开幕,由歌星【邓丽君】剪彩。
★1970年5月6日国光企业公司门市部今日正式举行开幕典礼,敦请影星【邓丽君】剪彩
★1970年5月6日《谢谢总经理》高雄首映式。
★1970年5月11日高雄市大新百货公司为庆祝母亲节所举办的「慈爱大赠奖」业於今日揭晓,敦请影星【邓丽君】主持抽奖。
★1970年6月26日在台湾亲笔写了一封信给香港的歌迷
★1970年7月31日邓丽君、吴静娴等一行,组成了凯声歌唱团,已於今天飞往香港,献唱一个月。 ★1970年8月2日起在港九明爱中心演唱,
★1970年8月17日香港晚上餐宴,
★1970年8月港九明爱中心演《小放牛》,
★1970年9月13日玩乐器留影,
★1970年9月22日在香港地毯工厂,
★1970年9月25日港九明爱中心义演,
★1970年10月8日於香港伊馆篮联会长杯比赛前,主持开球和演唱一首阿里山的姑娘
1970年10月17日 映画『歌迷小姐』が香港で撮影
★1970年10月17日拍电影《歌迷小姐》,地点在香港。
★1970年11月接受过香港TV采访。这个月还在香港东方歌艺团演唱,
★1970年11月17日下午四时,乘中华班机从香港返台
★1970年12月9日南下赴高雄,十一日起应邀在高雄市新开幕的今日育乐公司客串演唱半月余,预定本月底返北。
★1970年12月11日高雄今日育乐中心全楼开放 邀请影剧明星参加联合演唱.上午十时举行开幕典礼,敦请名歌星【邓丽君】小姐等联合剪彩,到祝贺之宾客一千五百余人。 ★ ★ ★ ★
1971 年(18歳)
1971年 タイ
★ ★ ★ ★1971年1月返回香港
★1971年1月16日下午二点卅分假本市信义路国际学舍举行中国电子公司六十年度员工春节联欢同乐会 ★1971年2月13日在台北市中泰实馆泰国厅,举行世界广告股份有限公司新春联欢晚会
★1971年2月24日应香港政府的邀请,今中午(十二时十分)搭乘国泰班机飞往香港
★1971年2月27日在香港游玩
★1971年2月28日香港九龙骑马场骑骑马。
★1971年3月1日首次在新加坡[海燕歌剧院]登台献艺
★1971年03月18日香港公映《歌迷小姐》
★1971年3月24日在香港沙田玩
★1971年3月29日香港赴新加坡
★1971年04月在宇宙唱片公司出版最后一张唱片「邓丽君之歌第二十集 - 何必留下回忆」,收录了著名的《阿里山的姑娘》
★1971年4月4日新加坡大歌厅演唱
★1971年5月初在吉隆坡驻「五月花夜总会」献艺了一段时日
★1971年5月31日,为宣传电影【歌迷小姐】而首次赴泰国曼谷表演,她停留了一周左右,当时她曾用餐的麒麟大酒楼与演出的西舞台现在已经不复存在了
★1971年6月4日在泰国与鲍立同台演唱一起唱歌
★1971年7月到印尼雅加达登台演唱
★1971年7月24日越南八达酒店演唱
★1971年7月25日越南午餐记者会
★1971年7月27日 ベトナムの海南病院で高齢者を訪問。Lisheng劇場で黃梅戲の歌唱。
1971年8月越南
★1971年 8月24日自西贡再度回新加坡
★1971年8月于新加坡游艇(8月25日到8月31日这里的某一天)
★1971年 8月26日新加坡国家剧院超短裙陪短袖shirts,
★1971年8月26日新加坡七一群星会授奖,
★1971年 8月26日新加坡香格里拉酒店那身紫色超短裙
★1971年8月28日在新加坡荣获十大歌星(国家剧院留影)
★1971年9月新加坡富都饭店发现了她,后来又在公园碰上
★1971年9月3日在新加坡接受采访
★1971年10月份在香港
★1971年11月18日在金宝夜总会演唱,
★1971年11月28日香港商台之夜演唱。
★1971年12月又去菲律宾试试。
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1972年(19歳) ★ ★ ★
1972年1月回香港演唱,去了铜锣湾夜总会。
★1972年2月 香港見本市で開催されたチャリティーフェアに参加し、6,500香港ドルのチャリティーセールスで「白花油慈善皇后(チャリティークイーン)」の王座の2度目の獲得。
★1972年3月在椰城缝纫演唱,依然超短裙 ★1972年04月在马来西亚灌录《娜奴娃情歌》 ★ ★1972年4月5日吉隆坡新大歌厅,傣族特色的裙子 ★1972年4月访吉隆坡广播电台,稍显憔悴,哎,头发也懒得整理。 ★1972年4月游吉隆坡动物园 ★1972年4月5日开始在吉隆坡新大歌厅驻唱 ★1972年4月27日在马来西亚国家纪念碑留影 ★1972年4月30日(星期日)邓丽君在吉隆坡新大歌厅的繁忙工作之余,参观了当地的动物园,渡过闲暇的一天。 ★1972年5月10日(星期三)拜访吉隆坡各唱片公司 ★行程如下 ★12:00 ★武吉免登,音乐世界。 ★13:00 ★中华巷,恩记唱片公司。 ★14:00 ★思士街,祥记唱片公司。 ★15:00 ★茨厂街,马来西亚唱片公司。 ★16:00 ★苏丹街,绿岛唱片公司。 ★17:00 ★半山吧,新华唱片公司。 ★1972年5月14日上午十一时在新大歌厅歌友会签名 ★1972年5月15日(星期一)接获芙蓉青年商会的特函,邀请参加该会举办的一项盛大义唱晚会 ★1972年5月18日抵达槟城(上午十一时半由吉隆坡乘马星班机抵达槟城,参观蛇庙,十二时抵文华酒店,下午一时记者招待会,六时游植物园,旧关仔角,武吉南马花园,晚上八时晚宴) ★1972年5月19日(十九日上午十时游极乐寺,下午一时午餐,二时开始访问星槟、南洋、光华、通报、新明、星报、亦果西报。 ) ★1972年5月20日(二十日下午二时半起,访问唱片公司,包括音乐世界、义华、儿童世界唱片部、永兴、丽音、白云及绿岛唱片行) ★1972年5月21日访问槟大营钟表眼镜行 ★1972年6月邓丽君歌迷俱乐部“青丽之友会”於香港首度成立 ★1972年6月06日在新加坡举行为筹募残废儿童救济基金的「歌乐飘飘慈善晚会」的义唱记者招待会
★1972年6月07日/8日两晚邓丽君应新加坡**总部之邀,参加**周时为筹募残废儿童救济基金的「歌乐飘飘慈善晚会」的义唱。
1972年6月7日・8日 二夜に渡り、シンガポールの警察本部から「週末障害者救済基金」の募金のための「クラリオンチャリティー・ガラ」の歌手に加わるよう招待される。
★1972年6月14日香港大舞台, 6月14日香港大舞台《新西厢记》,超级搞笑,当年底下比较乱,但是演出还是成功的。 ★1972年6月16日在香港演出(传说朱坚就是在这一天搭乘的班机在越南上空爆炸坠毁) ★1972年8月5日从香港返台于机场接受采访(下午四时一五分搭乘马星班机,从香港返抵台北) ★1972年8月11日晚在台视的「歌星之夜」作专集演出 ★1972年8月20日联合报刊载邓丽君粉碎暴毙留言的一篇文章「我复活了!」 ★1972年10月8日台湾北投自宅终于可以暂时休息一下了 ★1972年12月她当选香港十大最受欢迎歌星 ★1972年12月21日在台湾机场(不知道是回来了,还是要出发) ★1972年12月与香港乐风唱片签约。 ★1972年12月[黑马一号] 电视剧。 ★*制作[歌星之夜] 个人专辑 ★ ★ ★ ★ ★ ★
1973年(20歳)
★1973年2月9日香港潮州酒家开业剪彩。
★1973年2月18日香港青丽歌友会成立
★1973年4月新加坡访丽风唱片公司,后来去了新加坡十大巨星晚会,
1973年4月17日 香港にて、日本ポリドール・レコードと契約を交わす
★1973年5月17日又在吉隆坡新大歌厅演《唐伯虎点秋香》,还玩了马来西亚。
★1973年6月5日中午由台湾飞往新加坡
★1973年6月6日在新加坡参加“远东十大巨星”记者会
★1973年6月8~10日回到新加坡参加十大巨星晚会,
1973年7月13日 飛行機でベトナム・サイゴンへ
1973年7月13日 《唐伯虎点秋香》舞台劇(ベトナム・サイゴン 麗聲劇場)
★1973年7月越南游湄公河留影,7月越南月世界夜总会
★1973年8月巴基斯坦。 ★1973年9月26日香港获十大歌星奖(百褶裙)
1973年11月 日本ポリドールレコードとの4月の契約に基づき、日本デビューに先だち、母と共に来日。大阪・京都を旅行。
★1973年11月25日下午自香港飞返台北
★1973年携“丽星歌剧团”东南亚巡演
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1974年(21歳)
1974年1月~2月 台湾
1974年1月12日为响应警察电台「雪中送炭」运动,中午由她的双亲陪同,将新台币一万元送交警察电台。
1974年2月初め 金門島へ(マレーシアの雑誌(1974.6)の事前インタビュー記事に基づく)
1974年2月15日 来日し、記者会見を実施。日本での公式の活動を開始。
1974年3月1日 デビュー
1974年3月在日本推出首张单曲《今夜かしら明日かしら》流行榜排行75名
1974年3月4日 第278回「夜のヒットスタジオ」に初出演。『今夜かしら明日かしら』を歌唱。
1974年3月16日 「8時だョ!全員集合」で、『今夜かしら明日かしら』を歌唱
1974年3月31日<放送>「わたしの東京探検 蕎麦屋で、ざる蕎麦を食べる」(スポニチクリエイツ)
1974年4月首度赴金门劳军演出 → 1974年2月の間違いと思われる。
☆1974年5月7日 NHK「ひるのプレゼント~回り舞台,演歌五人衆」(2)に、北島三郎・レツゴー三匹とともに出演。
☆1974年5月12日 NHK「レッツゴーヤング~小柳ルミ子・魅惑のバレエ」で「今夜かしら明日かしら」を歌唱。
★1974年6月17日 「夜のヒットスタジオ」第0293回で『空港』を歌唱
★1974年6月推出第二张单曲《空港》,获得日本唱片大赏“新人赏”、新宿音乐祭铜赏、
★银座音乐祭热演赏,空港总销量达八十万张 。
★*在东南亚巡回演出并灌录舞台剧《女记者》、《唐伯虎点秋香》、《西厢记》。 ★
( ↑ 映像の録音年・場所は不明)
★1974年7月日本《空港》宣传
★1974年8月15日在日本
1974年の8月16日 原宿のマンション「オリンピア・アネックス」506号室に、母の趙素桂とくらし始める。(1978年12月13日まで)
☆1974年8月17日 ビザの書きかえのため台湾へ帰国
☆1974年8月18日 テレビ番組で『情人的關懷』(原曲『空港』)を歌唱(?)
1974年8月21日 台湾テレビ「歌星之夜」に出演。『千言萬語.』を歌唱。
(1974年8月21日「歌星之夜」の映像に、1988年4月の慎芝氏逝去の際のテレサ・テンの声がオーバーラップされている。)
★1974年9月由日本返台,在家中接受日本杂志采访 ←間違いと思われる
★1974年9月9日—18日在马来西亚 ←間違いと思われる
★1974年9月18日从马来西亚飞日本 ←間違いと思われる
1974年9月15日 日本へ
★1974年10月14日 「夜のヒットスタジオ」第0310回で『雪化粧』を歌唱.
☆1974年10月1日 NHK「歌のゴールデンステージ」で『空港』を歌唱。松尾和子・都はるみ・青江三奈・アン・ルイスらが出演。
1974年10月17日 第7回「新宿音楽祭」(東京厚生年金会館)で審査員特別奨励賞を受賞。『空港』を歌唱
1974年11月19日 「第16回速報!日本レコード大賞」で『空港』を歌唱。新人賞を受賞。
1974年12月14日<放送> 「8時だョ!全員集合」で『雪化粧』を歌唱
1974年12月31日 「第16回日本レコード大賞」授賞式。『空港』を歌唱。
★1975年1月24日 歌番組出演のため、大阪へ。
伊丹空港でのサイン
1975年2月9日(10日?) 台湾 へ帰国
1975年2月 このころ、『週間平凡』の取材か。
↑週刊平凡1975-3-20
1975年2月13日 台北の空港で転倒(左脚骨折は後に分かる)
1975年2月14日 都内で受診の結果、「左足首骨折、全治4週間」の診断
1975年2月15日 フジテレビ「歌のスターパレード」の収録で『女の生きがい』を歌唱
1975年3月3日 夜のヒットスタジオ 第330回
★1975年3月11日在香港
★1975年3月14日搭机去日本
☆1975年4月12日 NHK「土曜ひる席」に、桂三枝らととにに出演。
1975年5月5日 「夜のヒットスタジオ」第339回で『女の生きがい』を歌唱
★1975年5月8日在日本签名会
★1975年6月24日 夜の乗客 /歌のグランプリ
1975年6月28日 『夜霧』で東京音楽祭シルバーカナリー賞を受賞。
★1975年7月20日 三越屋上でサイン会
1975年7月28日 「夜のヒットスタジオ」第351回で『夜の乗客』を歌唱
★1975年签约加盟香港宝丽金唱片,发行经典系列“岛国之情歌第一集
★1975年8月24日香港录制《无线特辑》
★1975年9~10月大马旅游
★1975年9月4日吉隆坡金华戏院
★1975年9月9~18日马来西亚巡回演唱
1975年10月上旬 数日間台北に(?)
1975年10月6日 母親とともに台北から香港経由で日本へ。その間に、45,000香港ドルの小切手を紛失(?)
★1975年10月在日本
☆1975年11月9日 よみうりランド 秋の歌謡大行進(文化放送 歌謡ヤングスポット公開放送)出演
1975年12月底邓丽君人在日本但对於台湾的「雪中送炭运动」从不后人,她特别写信回家,请父亲代她向警察电台捐款一万元济贫。
1975年12月8日 「夜のヒットスタジオ」第370回で『アカシアの夢』を歌唱
★1975年在日本连续推出三张单曲《雪化妆》、《女の生きがい》、《夜の乗客》
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1976年(23歳)
★1976年02月26日台湾新闻播放 - 邓丽君回台湾
★1976年3月在高雄的蓝宝石演唱十几天
★1976年3月23日由日本抵达香港
★1976年3月26日香港利园酒店记者会
★1976年3月27・28日 香港利舞台コンサート(共三场)
★1976年3月30日香港歌迷联欢会
★1976年3月31日于香港机场赴日本
1976年4月6日<放送> 香港・TVBで『夜霧』(中文版)を歌唱
1976年5月23日 再来日?
★1976年6月日文单曲《夜のフェリーボート》打入流行榜前20名
☆1976年6月7日 NHK「ひるのプレゼント~にしの芸 ひがしの芸」(1)に、松鶴家千代若・松鶴家千代菊らとともに出演。
1976年6月26日 「8時だョ!全員集合」で『夜のフェリーボート』を歌唱
★1976年7月10日 東京・新宿ルイードでライブハウスコンサート ルイードでの最初のコンサート
★1976年7月16日在东京湾上的轮渡,为第7张主打单曲<夜的轮渡>举行新歌发表祈福会
1976年9月22日 東京で『夜のフェリーボート』キャンペーンの釣り大会 (船宿泉水のお二人は、その後、11月15日の「夜のヒットスタジオ」に出演)
★1976年9月4日 「8時だョ!全員集合」~学校コント~に参加
☆1976年10月20日 NHK「ひるのプレゼント~コント専科」(3)に、西川峰子らとともに、出演。
1976年10月30日 新宿ルイードでライブハウスコンサート(?)
1976年11月13日 「8時だョ!全員集合」で『夜のフェリーボート』を歌唱
1976年11月15日 「夜のヒットスタジオ」第419回で『夜のフェリ—ボ—ト』を歌唱
★1976年11月18日下午自东京飞往香港途中,在台北机场过境。她预定在香港停留三天,然后前往马来西亚作一个月的演唱。
★1976年11月20日香港记者会
★1976年11月26日槟城会堂演《女記者》
(↑ 写真の撮影日・場所は未確認)
★1976年12月2日吉隆坡中华大会堂
1976年(放送日詳細不明) TBS「笑って!笑って!60分」で、『夜のフェリーボート』歌唱
1977年(24歳)
★1977年1月赴香港录制专辑
★1977年1月上旬在印尼演唱
1977年1月15日 香港で記者会見(?)
1977年2月21日 「夜のヒットスタジオ」第433回で、『涙を抱いた渡り鳥』『ふるさとはどこですか』を歌唱
1976年2月22日 新宿ルイードでライブハウスコンサート(?)
★1976年2月22日 LP「ふるさとはどこですか」発売
★1977年03月在日本福岛 《ふるさとはどこですか》
★1977年3月1日 「ドリフ大爆笑」#002 特集“お金”で『ふるさとはどこですか』を歌唱
1977年3月3日 「トップスターショー歌ある限り」で『ふるさとはどこですか』を歌唱
1977年3月16日・17日 『ふるさとはどこですか』のキャンペーンで福島県三島町を訪問 [宿泊先・宮下温泉ふるさと荘]
1977年3月19日 新宿ルイードでライブハウスコンサート
1977年3月30日 TBS系「ゆかいな音楽会」で『ふるさとはどこですか』『横須賀ストーリー(中国語)』を歌唱
1977年4月12日<放送> 「ドリフ大爆笑」#003で『 ふるさとはどこですか』を歌唱
1977年4月22日 新橋ヤクルトホールでファーストコンサート「ふるさとはどこですか」
★1977年6月5日中午搭机自日本返台探亲
★1977年6月与台视签约,并录制台湾第一个《邓丽君专辑》
★1977 年7月(8?)9・10日 2回目の香港利舞台コンサート (三天五场?)
★1977年7月11日以岛国之情歌第二集<今夜想起你>夺得香港第一届金唱片奖
★1977年7月12日香港歌迷联欢会
★1977年7月31日泰国嘉乐斯馆演唱
★1977年8月5日泰国返港前留影
★1977年8月26日日本夜总会演唱 (新宿ルイードでライブハウスコンサート?)
1977年8月29日 「夜のヒットスタジオ」第460回で『わたし祈ってます』『あなたと生きる』を歌唱。ファンと電話。
1977年9月27日 「ドリフ大爆笑」#008 “秋特集”で『あなたと生きる』を歌唱、『妖艶テレサのマル秘マッサージ』を演技
1977年10月3日<放送> NHK「お国自慢にしひがし―奈良県橿原市―」に、森進一・森昌子とともに出演。
1977年10月5日 ライブハウス銀座メイツで歌唱
1977年10月18日 「ドリフ大爆笑」#009で『あなたと生きる』を歌唱
1977年10月30日 東京で「あなたと生きる」キャンペーン 。中野浩一も参加した。(放送は11月17日)
☆1977年10月31日 NHK「ひるのプレゼント~秋晴れ文化祭(1)」に、千昌夫らとともに出演。
1977年11月9日 NHK「歌のグランドショー」で『あなたと生きる』を歌唱
1977年11月16日出演日本TV节目 (「お笑いオープンスタジオ」? 青空千夜・一夜、平野雅昭らとともに出演?)
☆1977年11月26日 NHK「土曜ひる席」に、桂三枝らとともに出演。
1977年11月28日 北海道「やきとりごんちゃん」で食事
1977年12月28日 「たまりまセブン大放送!」で『あなたと生きる』を歌唱
1978年(25歳)
★1978年1月12日 ライブハウス・銀座メイツでソロコンサート
★1978年1月22日返台
★1978年1月28日参加莅港记者会
★1978年2月7日在大马怡保演唱
1978年2月7日<放送> TBS「飛べ!孫悟空」第17回「ユハラ王子とテレサ姫」に本人役で声の出演
1978年2月10日 クアラルンプール演唱会
★1978年2月14日大马巡回演唱
★1978年2月18日到马来西亚山打根演唱,投宿於沙巴酒店(遭歹徒恐吓勒 ★索)
★1978年2月21日飞往新加坡
★1978年2月23~26日新加坡演唱
1978年3月9日?(~22日まで?) ローマ旅行
★1978年3月赴美国洛城旅游
★1978年3月22日在日本
1978年4月8日 「8時だョ!全員集合」で『東京夜景』を歌唱
★1978年4月18日 ライブハウス・銀座メイツでソロコンサート
1978年04月25日 「ドリフ大爆笑」#015 特集「古今東西偉い人」で『東京夜景』を歌唱
★1978年5月5日 日本 浅草剧场演唱
1978年5月8日 「夜のヒットスタジオ」第496回で『東京夜景』を歌唱
★1978年5月14日 日本住宅庆贺母亲节
1978年6月1日 沖縄旅行
1978年6月9日<放送>「五年目に賭ける!
デビュー5周年記念新曲「東京夜景」発表パーティー」(スポニチクリエイツ)
1978年7月 在台北获得警察广播电台颁发之“雪中送炭”奖
★1978年7月20日于川崎产业文化会馆举行日本个人大型演唱会,将个人演唱所得捐出作慈善之用获得员警广播电台“雪中送炭”奖
★1978年9月9日、10日(1978~台视邓丽君特辑)新竹、台中、彰化外景部份
★1978年9月14、15日拍摄台视专辑内景棚拍部份(1978~台视邓丽君特辑)千言万语
★1978年9月拍摄台视电视剧《天涯常念旧时情》
1978.09.12 台視 「天涯常念舊時情」曲名: 想你想斷腸
★1978年9月18日从台北飞往香港
★1978年9月19日参加香港记者会
★1978年10月为香港TVB拍摄个人特辑,其中一首歌曲《我心深处》
☆1978年10月4日 台湾テレビで特集番組放送(9月に録画)
★1978年10月8日香港歌友会
★1978年10月23日由香港返台湾
★1978年12月25日参加香港圣诞晚会
★1978年12月25日台湾新闻播放 - 邓丽君捐献百万 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
1979年(26歳)
★1979年1月15日在家练字(地点不详)
★1979年2月12日与潘冰嫦晚膳于香港九龙泰丰楼
★1979年2月14日自香港搭乘“中华航空”c116班机抵达东京羽田机场
1979年2月14日 香港発の中華航空16便で羽田空港へ。インドネシア政府発行のパスポートにより、日本へ入国。(いわゆる「パスポート事件」)
1979年2月17日 東京入管に収容される。
★1979年2月25日从东京赴美
1979年2月 サンフランシスコで、日本以来の親友・朱小芸宅に滞在
★1979年2月赴美国南加州大学进修生物、数学和日文
1979年 4月6日 LA Santa Monica Civic Auditorium でコンサート
★1979年4月8日在三藩市(第一次北美巡演)
1979年 4月10日 San Francisco Masonic Hall でコンサート
★1979年4月12日在温哥华(第一次北美巡演)
1979年 4月13日 Vancouver Orpheum Theatreでコンサート
★1979年4月16日在多伦多(第一次北美巡演)
1979年 4月16日 Toronto O'Keefe Centreでコンサート
★1979年8月马来西亚邓丽君歌友会成立
★1979年8月台视赴美国拍摄大荧幕
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1980年(27歳)
★1980年3月荣获台湾金钟奖“最佳女歌星奖”。
★1980年5月美国洛山叽
★1980年6月美国洛山叽
★1980年7月18日,邓丽君在清晨六时许到抵纽约
★1980年7月20日於美国纽约林肯中心(世界最高音乐殿堂之ㄧ)登台,为华人歌星首位。
1980年 7月20日 Avery Fisher Hall, Lincoln Centrem NY でコンサート
★*7月末在洛杉矶音乐中心及三藩市两地登台
★1980年7月22日美国纽约记者会
★1980年7月26日在三藩市一场(第二次北美巡演)
1980年 7月26日 Masonic Hall, San Francisco でコンサート
★1980年7月27日在落杉矶音乐中心一场,共四场.(第二次北美巡演)
1980年 7月27日 Dorothy Chandler Pavilion, L.A.Music Centre でコンサート
★1980年9月4日晚上,台视的「大萤幕」节目播出了,特别赴美国为邓丽君录制的特辑,介绍邓丽君在美国洛杉矶的家居生活近况,并由邓丽君在节目中演唱歌曲「阵阵春风柔」。这一个特辑的播出,揭开了邓丽君回国的序幕。
★1980年9月22日抵达东京并参加记者会
★1980年9月26日 フジテレビ「花の金曜ゴールデンスタジオ」(ハナキンスタジオ)で、『你(あなた)』を歌唱。
★1980年9月30日返台
★1980年10月1日宋楚瑜局长接见邓丽君
★1980年10月2、3日金门劳军,3日下午返台
★1980年10月3日邓丽君在台视和几位日本来的乐师、合音练唱到晚间十二点才回到家
★1980年10月4日 台北・国父纪念馆演唱会
★1980年10月5日飞往台南参加体育公园附近一批新屋工地的剪裁活动 ★1980年10月6日为"自强基金会"捐150万元义演支票 ★1980年10月8日莅港参加记者会
1980年10月6日为"自强基金会"捐一百五十万零六百元义演支票
★1980年10月15日她为香港仁济医院筹款,在海城夜总会举行义演一场,收入作为医院基金 ★1980年10月16日于香港导演李翰祥家,结束了香港利舞台演唱后拜访李导演
1980年10月21日 YAMAHA機車廣告(ヤマハ・スクーターCM)撮影
1980年10月23日<放送>「久しぶりの日本
晴海埠頭で海を見る・スケッチ」(スポニチクリエイツ)
★1980年10月26日香港歌迷联欢
★1980年11月1日在香港机场返台湾
★1980年11月3日参加17届“金马奖”
★1980年11月4日-15日在日本
★1980年11月15日从东京飞往香港
★1980年11月18日从香港飞往美国洛杉矶
★1980年11月拍摄由台视制作,日本富士电视台协作的「邓丽君专辑」,其中包括《原乡人》,《Copacabana》等 (到底几月还有待考察)
TTV(台湾テレビ)がフジテレビのスタジオで日本のフジテレビの協力を得て、全20曲とスキット1編を撮影。
★1980年12月18日在香港推出个人首张粤语大碟《势不两立》,歌曲《忘记他》异军突起
★1980年年末於华怡保专辑中, 邓丽君唱了两首歌曲《原乡人》、《心湖里起涟漪》
1980年 年末の歌手・華怡保の番組に出演、『原郷人』『心湖里起漣漪』を歌唱
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
1981年(28歳)
★ ★1981年年初於印尼灌录80首印尼文歌曲
1981年年初行政院长孙运璿先生召见
【情景剧】1981.01.02 鄧麗君 「我的家」
★1981年1月9日邓丽君获新闻局颁发"爱国艺人"奖
★1981年1月15日在台录制春节特别节目「金鸡凤凰喜」
★1981年1月30日因为在香港所以无法参加台湾第五届电视金像奖颁奖
1981年2月4日除夕下午义光孤儿院慰问孤儿,做慈善演出
★1981年2月5-18日在台北迪斯角歌厅
★1981年2月27日从美国返台
★1981年2月28日与日本Polydor唱片公司之约期结束
★1981年2月28日上台视「第一棚」特辑
★1981年3月参加华视《政治教学》节目录影
★1981年3月2~6日台中联美歌厅演唱
★1981年3月10~19日高雄喜相逢演唱
★1981年4月13日在泰国曼谷作秀
★1981年4月16日由曼谷抵达香港
★1981年4月17日香港参加香满楼记者会
★1981年4月18~25日 香港利舞台演唱
★1981年4月28・29日 シンガポールでコンサート 星洲演唱会演唱
★1981年5月16日邓丽君、李季准主持广播电视金钟奖颁奖典礼
第16回ゴールデンベル賞授賞式(司会・李季准)で、『原郷人』を歌唱
★1981年8月4日参加香港金唱片颁奖
★1981年8月11日午后三点返台.晚上先与先进策画群开会
★1981年8月12日早上十点由先进公司陪同至台视.与工作人员及军方开协调会
★1981年8月13日早上十点与小型康乐对排练.下午四点至桃园空军基地劳军
★1981年8月14日早上十点先与先进策画群开会.下午五点乘专机至屏东空军基地劳军
★1981年8月15日清晨四点返台北.下午一点至台中清泉冈陆战队基地开协调会.研究月光晚会.午后三点至台中COK空军基地劳军.晚上11点返回台北
★1981年8月16日午后一点整理所有歌曲套谱.排定月光晚会歌曲
★1981年8月17日~19日午后排舞
★1981年8月20日早上排舞.午后到台视与乐团对Key.然后再排舞
★1981年8月21日整天排舞
★1981年8月22日早上至台视开会.午后排舞
★1981年8月23日早上九点到台中装甲部队劳军.下午一点到台中炮兵部队.吉普车队劳军
★1981年8月24日下午三点至台中清泉冈陆战队基地月光晚会现场排练.晚上八点彩排.清晨四点再排演
★1981年8月25日晚上七点正式在台中清泉冈演出.现场有一万二千人
★1981年8月26日下午二点至嘉义空军基地自强中队.救护中队劳军
★1981年8月27日下午一点返回台北
★1981年8月28日下午三点至高雄中正文化纪念堂排演.晚上七时正式演出.现场有二千余人
★1981年8月29日早上八点至左营海军陆战队LVT滩头劳军.下午二点乘驱逐舰出左营港.在台湾海峡为海军官兵劳军.晚上八点返回台北
★1981年8月30~31日 休息
★1981年9月1日至台视看录影带
★1981年9月2日英雄晚会献花
★1981年9月3日录音
★1981年9月4日台北的劳军晚会
★1981年9月5日至金门前线
★1981年10月21日日本拍摄机车广告 1980年同日の間違いと思われる。
★1981年11月7日王升给邓丽君颁奖,表扬她五度赴金门劳军(台湾)
★1981年12月11日在香港香格里拉饭店召开新伊馆演唱会记者会
★1981年12月初在香港「欢乐满东华」慈善晚会
★1981年参加高雄中正纪念堂[何日君再来]劳军活动 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
1982年(29歳)
1982年1月6日,邓丽君由新加坡抵达香港,开始为首场演唱会做准备.
★1982年1月8日至11日于香港伊利莎白体育馆举办五场个人演唱会
★1982年01月在香港「欢乐今宵」节目中表演煮鸭肾
★1982年的大年初一起(1月25号)邓丽君在台北「狄斯角」登台 (←間違いの可能性あり。1981年2月5-18日のみと思われる。)
★1982年2月2日与凌峰在一起(台视电视街录影)
★1982年2月3日下午应邀到华视录制政治教学节目
★1982年2月邓丽君到马来西亚巴生为议蔘茸行任剪彩嘉宾邓丽君到马来西亚巴生为议蔘茸行任剪彩嘉宾
★1982年02月8日起在马来西亚吉隆坡登台10天演出
★1982年2月27日再度应邀上台视「电视街」
★1982年3月7日在新加坡丽的呼声播音室接受徐惠民采访(早上《娱乐情报》节目,傍晚《宝丽金之声》节目)
★1982年3月11日由新加坡返台
★1982年3月13日出席金钟奖颁奖典礼,做为颁奖嘉宾给凤飞飞颁发最佳女歌手奖
★1982年3月14日搭机离台
★1982年 3月27日晚参加电视街录影
★1982年4月在新加坡
★1982年05月为香港TVB「劲歌金曲」节目拍摄联唱组曲MV: 《叹十声》 《天涯歌女》 《四季歌》
★1982年5月开始投入古典专辑《淡淡幽情》的策划工作
★1982年6月5日返台
★1982年7月2日在台湾获热心公益演艺人员奖(下午四点三十分)
★1982年9月12日返台
★1982年10月在香港无线电视特辑
★1982年11月23日下搭乘新航008次班机由新加坡返台
★1982-11-24到医院陪伴病中的母亲
★1982年11月25日台视录制郁金香
★1982年11月26在清泉岗空军基地与吴荣根见面
★1982年11月29日飞日本
★1982年12月10在台北忠孝东路巧遇邓丽君
★1982年12月14日赴台视洽商专辑事宜
★1982年12月20日在台视录制个人电视专辑
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☆1982年12月31日 台湾の英語放送局ICRT(International Community Radio Taipei; 台北國際社區廣播電台)で、Glenn Busby氏のインタビューと共に日本語で歌う『空港』(ライブバージョン)が放送される。当時の台湾では、日本語の歌の放送は異例のこと。
1983年(30歳)
★1983年1月27日於香港富豪酒店开设30岁生日派对 ★1983年2月推出经典大碟《淡淡幽情》。 西田裕司先生(Taurus社长舟木稔先生指派给邓丽君的经纪人) ★到新加坡找邓丽君洽谈唱片事宜
★1983年2月应邀前往美国拉斯维加斯“凯撒宫”演唱,为华人女歌星中首位(2月19日)
1983年2月19日・20日 米国ラスベガスのシーザースパレスで デビュー15周年記念ワンマンショー
★1983年3月21日从美国返台 ★1983年3月22日上午在新闻局(金钟事宜),晚上和张帝一同研拟典礼对白 ★1983年3月25日金钟奖彩排 ★1983年3月26日邓丽君、张帝主持金钟奖颁奖典礼,最佳女歌手凤飞飞 ★1983年4月在新加坡休养 ★1983年5月在马来西亚吉隆坡获颁金唱片 ★1983年5月香港无线电视 《怎麼开始》MV 拍摄 ★1983年5月香港宝丽金统计1975年起,邓丽君於香港之唱片销售共达500万张, ★创下当时华语歌坛纪录。 ★1983年5月在香港推出个人第二张粤语大碟《漫步人生路》。 ★1983年6月於日本新东家Taurus唱片公司推出《旅人》专辑大碟 ★1983年9月-10月在香港参加慈善晚会与米雪、翁美玲合影
★1983年10月5日 シンガポール・オーチャードストリート 「我和你」を歌唱(「第3回作曲大賞」を扱ったTBSの番組中で行われたシンガポールからの中継)
★1983年10月在香港 15周年巡演香港站新闻发布会
★1983年11月在美国
★1983年12月於菲律宾举行演唱会
★1983年12月21日晚邓丽君携十五周年演唱会幕后团队一行四十多人由美国抵达香港
★1983年12月22日起邓丽君便与舞蹈员及和音在大会堂三楼的芭蕾舞室开始排演
★1983年12月29-31日 香港红磡体育馆15周年演唱会
1984年(31歳)
★1984年1月1-3日在香港红磡体育馆举办十五周年演唱会
★1984年1月5日从香港返台准备演唱会
1984年1月6日 空港(台北)
★1984年1月7日・8日 台北中华体育馆「"十億個掌聲(10億拍手)" 15周年巡回演唱会」
★1984年1月10日新加坡良木园大酒店举行的记者招待会
★1984年1月12日・13日 シンガポール国立劇場で、デビュー15周年記念コンサート
★1984年1月17日在吉隆坡默狄卡体育馆举办十五周年演唱会
1984年2月25日 [空白の5年」の後の再来日。午後8時20分 中華航空008便で羽田空港へ。
1984年2月26日 ラジオ出演、雑誌取材、クラスタルルームでのリハーサル
1984年2月27日 赤坂ニューオータニ・クリスタルルームで活動再開を表明する記者会見兼ミニライブ会
1984年2月2月28日 終日、テレビ・ラジオに出演、新聞取材
1984年3月1日 レコーディング
1984年3月2日 テレビ・ラジオ出演、雑誌取材
★1984年3月28日在台湾获十大杰出女青年奖
1984年5月 「突然ガバチョ」に出演し、『つぐない』を歌唱
★1984年5月 名古屋鄧麗君後援会出席
★1984年5月20日<放送> 「ミュージックフェア 」で、『空港』『つぐない』『恋人よ』を歌唱。欧陽菲菲と『北酒場』デュエット。(→ミュージックフェア・バックナンバーで「北酒場
(1985年7年7日放送)」としているのは間違いか。)
1984年5月31日 フジテレビ「木曜おもしろバラエティ『第2回輝け!国際演歌グランプリ』」に出演、歌唱。森進一とデュエット。
★1984年6月3日 「演歌の花道」で、『空港』『夢芝居』『つぐない』を歌唱。
★1984年7月在港新闻发布会宣传最新国语专辑
★1984年7月7日(?)<放送> 「ミュージックフェア 」で、欧陽菲菲と『北酒場』をデュエット。(→ミュージックフェア・バックナンバー)
★1984年7月15日获全日本有线放送大赏上半期优秀スター赏,成绩仅次於中森明莱。
1984年7月5日 「ザ・ベストテン」で30位にランクイン。今週のスポットライトで語り。『つぐない』を歌唱。
1984年7月10日 台湾に戻り、十大歌星金嗓獎頒獎典禮(トップテンシンガーゴールデンボイスアワードのセレモニー)に出席(放送は7月14日)
1984年7月16日 「夜のヒットスタジオ」第816回で『私はピアノ』『つぐない』を歌唱。
(この日、香港で親戚やファンクラブと共に、母親の誕生祝いをしていたという情報もあり、この日付けは,要確認)
★1984年8、9月在英国伦敦学习生活、录音(爱人?)
1984年10月 TBS「3時にあいましょう」に出演。インタビューを受けたほか、『空港』『つぐない』を歌唱。
1984年10月 TBS「森本毅郎 さわやかワイド」に出演。小池達子からインタビューを受け、『つぐない』を歌唱。
1984年10月15日 日本テレビ「ザ・トップテン」で「つぐない」を歌唱。ほかに、館ひろし、小泉今日子、チェッカーズ、SALLY、近藤真彦、細川たかし、岡田有希子ら。
★1984年10月23日<中継放送> 第17回「日本作詞大賞」(NHKホール)で『つぐない』を歌唱。
1984年12月2日<放送> 「演歌の花道」で『秋冬』を歌唱
1984年12月7日 「第17回日本有線大賞」において『つぐない』で、大賞・ベストヒット賞・有線音楽賞を受賞。会場は、東京郵便貯金会館、司会は愛川欽也。
1984年12月13日 第17回全日本有線放送大賞グランプリを受賞。『つぐない』を歌唱。 会場は、大阪フェスティバルホール。
★《つぐない》荣获第10回日本演歌大赏ベストヒット赏(最受欢迎赏)。
★《つぐない》总销量达150万张以上。
1984年12月18日 テレビ朝日「徹子の部屋」にゲスト出演
★1984年12月31日在第26回「日本レコード大赏」中以《つぐない》竞逐一项”最优秀歌唱赏” ★
★祝贺中hua 民guo总统就职,於日本大雪纷飞的户外演唱著中文版《娘心》,将画面寄回台湾。
★
★
1985年(32歳)
1985年1月14日 「ザ・トップテン」出演。(シンガポールからの電話出演だったことを、翌週の番組内で堺正章が語っている。)ほかに、チェッカーズ、TOM★CAT、芦屋雁之助、テレサ・テン、安全地帯、中森明菜、小泉今日子ら。
1985年1月21日 日本テレビ系「ザ・トップテン」で「つぐない」を歌唱。会場は渋谷公会堂。他に、五木ひろし、柏原芳恵、芦屋雁之助、菊池桃子、わらべ、安全地帯、風見慎吾、小泉今日子ら。
1985年1月28日 「夜のヒットスタジオ」第843回で、『前略、道の上より』『つぐない』を歌唱。
★1985年1月28日从日本东京飞新加坡
★1985年1月30日北京青年报记者关健与在新加坡的邓丽君通电话
★1985年2月在新加坡拍摄三支MV除了<爱的使者>,还到前国家剧场后山,克拉克码头拍摄<偿还>,马林百列海边的<我和你>.
★1985年2月於日本发行单曲《爱人》,在5/20至8/19其间於有线点播榜获得14周连续冠军,
★刷新历史纪录,亦於广播流行榜达成蝉联10周冠军纪录。
1985年2月21日 『愛人』をリリース。(1985年年間チャート56位)
★1985年3月23~24日香港狂欢夜演唱
★1985年4月首次接受杂志PentHouse国际日文版专访,公开三段恋情
★1985年夏天在香港兰桂坊为《偿还》专辑拍摄宣传照
★1985年7月1日晚邓丽君到达日本并接受日本新闻专访/
★1985年7月2日 「ミュージック・フェア」の録画(7月7日放送)
★1985年7月3日东京·原宿接受专访
1985年7月3日 「夜のヒットスタジオ」第865回で「愛人」を歌唱
1985年7月7日<放送> 「ミュージック・フェア」で『愛人』などをソロ歌唱、八代亜紀と『別れの朝』『忘れないわ』をデュエット
1985年7月14日<放送> TBSテレビ「ロッテ歌のアルバム」第15回に出演、「愛人」「女ひとり」を歌唱
★1985年7月21日参加日本TBS电视台第16回「ロッテ歌のアルバム」<第16回>节目,演唱 《みちのくひとり旅》
★1985年7月 第18回「'85 全日本有線放送大賞」で、上半期審査委員会最優秀賞を『愛人』で受賞
1985年8月4日<放送> テレビ東京「演歌の花道」に出演、『愛人』『浪花節だよ人生は』を歌唱
1985年8月7日 フジテレビ「夜のヒットスタジオ」第870回で『青春の誓い』『愛人』を歌唱。小早川選手と電話。
☆1985年8月9日 香港へ?(8/7の番組中での発言による予定)
★1985年08月31日出席台湾「反盗版」
★1985年9月飞往英国(录音工作)
★1985年10月10日在台北
1985年10月13日<放送> 第5回日本作曲大賞で『愛人』を歌唱
1985年10月15日<中継放送> 「NHK歌謡ホール」で『つぐない』『他人船』を歌唱
★1985年10月20日新加坡乌节路巧遇邓丽君
★1985年10月21日新加坡飞往日本
1985年10月22日 NHK 第18回「日本作詩大賞」で『愛人』を歌唱
1985年10月23日 「夜のヒットスタジオ」第881回で『愛人』 を歌唱
1985年10月27日<放送> 「ミュージックフェア 」で『空港』を歌唱。『不着痕迹/ノスタルジア』を南こうせつとデュエット。
★1985年11月在英国
★1985年11月20号左右从英国飞香港
★1985年11月拍摄个人第二支影印机电视广告
★1985年11月24日在香港练唱
★1985年11月25日香港太平山狮子亭拍摄MV
1985年11月 TBSテレビ「子供が見てるでしょ!」第7回 に出演
★《爱人》在日本之有线点唱总数达历史纪录919370次。
★1985年12月初从香港飞日本
1985年12月6日 「第18回日本有線大賞」で、大賞・ベストヒット賞・有線音楽賞を受賞。会場は東京郵便貯金会館、司会は愛川欽也・紺野美沙子。
1985年12月12日 第18回「全日本有線放送大賞」でグランプリを受賞。『愛人』を歌唱。
★1985年12月15日 東京・NHKホールコンサート
★1985年12月31日 「第36回紅白歌合戦」に1回目の出場。『愛人』を歌唱。
1986年(33歳)
★1986年1月26日邓丽君在台湾会见萧天润
★1986年2月6日参加《与君同乐》歌友会演唱
1986年2月21日 『時の流れに身をまかせ』リリース(1986年年間チャート62位、1987年年間チャート42位)
★1986年4月英国时代杂志刊登世界七位首席女歌星,邓丽君为其中一位
★1986年5月14日 「日本夜のヒットスタジオ」第909回 で、『(め)組のひと』『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年5月18日<放送> 「ロッテ歌のアルバム」で『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年5月19日<放送> 「にっぽんの歌」で『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年5月20日<中継放送> 「NHK歌謡ステージ―海の男の北前船―」で『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年6月5日<放送> 番組名不明。『時の流れに身をまかせ』を歌唱。
1986年6月8日<放送> 「にっぽんの歌」で『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年6月8日<放送> 「ミュージック・フェア」で『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年6月15日<放送> 「演歌の花道」で『つぐない』『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年7月6日<放送> テレビ朝日「歌謡ドッキリ大放送」で「時の流れに身をまかせ」歌唱
★1986年07月在第19回「日本有线大赏 - 上半期」中凭《时の流れに身をまかせ》受赏
★1986年07月14日 第15回「ロッテ歌のアルバム」) 演唱《爱人》
★1986年07月21日 第16回「ロッテ歌のアルバム
1986年9月14日 香港・“白金巨星耀保良”に、林子祥、張國榮、梅豔芳らと参加。『Greatest Love of All』 (コーラス)、『愛人』『償還』『漫步人生路』などを歌唱。
★1986年10月11日抵日
1986年10月13日<生放送> 「歌のトップテン」に出演し、『時の流れに身をまかせ』を歌唱。他に、近藤真彦、中森明菜、石井明美、高井麻巳子、田原俊彦、菊池桃子ら。会場は渋谷公会堂。
1986年10月15日<放送> 第6回「日本作曲大賞」出演、「時の流れに身をまかせ」を歌唱
1986年10月21日<中継放送> NHK「歌謡ステージ―結婚式に贈る歌―」で『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1986年10月22日 「夜のヒットスタジオ」第932回で、『時の流れに身をまかせ』を歌唱
★1986年11月2日<放送> 「ミュージック・フェア」で、『ある愛の歌』(河合奈保子とデュエット)、『The Way We Were(追憶)』『時の流れに身をまかせ』『As Time Goes By(時の過ぎゆくままに)』を歌唱。
1986年11月16日<放送>「三枝の爆笑美女対談」(フジテレビ)に出演。
1986年11月16日<放送>「ロッテ 歌のアルバムNOW」で、『時の流れに身をまかせ』を歌唱。
1986年11月30日<放送> 「演歌の花道」で、『望郷じょんがら』を歌唱
1986年12月5日 「第19回日本有線大賞」で、大賞・ベストヒット賞・有線音楽賞を受賞。会場は東京郵便貯金会館、司会は愛川欽也・宮崎美子。
1986年12月7日 「ザ・サンデー」(フジテレビ)にて、インタビュー。小早川毅彦選手と『もしかしてPart2』を、渡辺はま子と『何日君再来』デュエット。『時の流れに身をまかせ』を歌唱。
1986年12月10日 「夜のヒットスタジオ」第939回で、『ナイトゲーム』『スキャンダル』を歌唱。
1986年12月11日 第19回「全日本有線放送大賞」において、『時の流れに身をまかせ』で年間グランプリ(金賞)・ベストヒット賞を受賞
★1986年12月12日在日本「ザ・ベストテン」节目中与小早川毅彦合唱《もしかしてPart2》,后与渡边はま子合唱《何日君再来》,最后独唱《时の流れに身をまかせ》
★1986年12月13日由日返台
★1986年12月26日返台湾参加三哥婚礼,并接受访问
★1986年12月31日 第28回輝く日本レコード大賞金賞受賞。 (出席第28回「日本レコード大赏」,以《时の流れに身をまかせ》夺得金赏)
1986年12月31日 「第37回紅白歌合戦」に2回目の出場。『時の流れに身をまかせ』を歌唱。
★*《时の流れに身をまかせ》总销量达200万张以上。
★*12月中国文化艺术出版社(中国大陆)出版《邓丽君自选演唱歌曲225首》,
★该书从筹画到出版历时一年多,邓丽君亲自题词。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
1987年(34歳)
★1987年1月14日 「夜のヒットスタジオ」第944回
1987年1月22日 「ザ・ベストテン」第464回で第10位
1987年1月27日 香港跑馬地(ハッピーバレー)市場を訪問、録画。
1987年1月29日 「ザ・ベストテン」第465回で第10位。香港から電話で出演。『時の流れに身をまかせ』を歌唱(録画の再生か)。映像は1月27日の録画を利用。
★1987年04月参演香港电台电视部制作「精装普通话」节目,演唱《我只在乎你》
★1987年4月底在港台发行专辑《我只在乎你》,并亲自填写三首歌词
★1984年4月在香港宣传《我只在乎你》
★1987年4月15日 星期三邓丽君出现在香港商业电台接受钱佩卿、冯伟棠的访问。
★1987年4月26日,谭咏麟、泰迪罗宾(原名关维鹏)、曾志伟等搞笑专家三人,合组「好朋友电影公司」,香格里拉酒店特别举办一场开幕酒会,邓丽君参加
★1987年4月29日香港丽晶酒店和媒体朋友聚餐
★1987年5月24日在香港接受新加坡「丽的呼声」节目主持人徐惠民专访
1987年6月21日 『別れの予感』リリース(1988年年間チャート94位)
★*於英美为联合国公益金举行两场慈善演唱会(后来取消了)
★1987年8月22日在香港参加日本电视台NTV长寿慈善节目 『24时间テレビ「爱は地球を救う」』 ( 《24小时爱心救地球») 卫星放送,唱了一首《别れの予感》。 当年香港区的主持人之一有汪明荃。 1987年10月14日 「夜のヒットスタジオ」第983回で『DESIRE』『别れの予感』を歌唱。(夜のヒットスタジオ、最後の出演か。)
1987年11月1日<放送> フジテレビ「ミュージックフェア」に出演、『愛人』『君の瞳は10000ボルト』などをデュエット、『時の流れに身をまかせ』『別れの予感』を歌唱
☆1987年11月17日 「NHK歌謡ステージ―演歌で感謝~中継・瀬戸大橋―」に、北島三郎・五木ひろしらと出演。
1987年12月4日 第20回日本有線大賞で有線音楽賞を受賞。 『別れの予感』を歌唱
1987年12月11日<放送> 「にっぽんの歌」で『愛人』『時の流れに身をまかせ』『別れの予感』『つぐない』を歌唱
★1987年12月17日在香港与梅葆玖合影
1987年12月27日<放送> 「オールスター輝く演歌大祭典」で、『別れの予感』を歌唱
★ ★ ★
1988年(35歳)
★1988年1月日文单曲《恋人たちの神话》发行
1988年1月<放送>「新春!!歌謡スペシャル88オールスター栄光のビッグヒットパレードで『別れの予感』を歌唱
★1988年1月1日テレサ テン & 五木ひろし-釜山港へ帰れ
★1988年01月11日在日本「歌谣パレード88」节目中 演唱《别れの予感》
1988年1月13日<放送>「ゆかいな歌仲間」で『別れの予感』を歌唱
★1988年1月18日在香港参加钟镇涛的婚礼
1988年4月 作詞家・慎芝氏の逝去に伴って帰台し、弔意を表す。
1988年5月3日<放送> 「にっぽんの歌」で『つぐない』『恋人たちの神話』を歌唱。西城秀樹と『恋人よ』をデュエット(河合奈保子pf)。
1988年5月5日<放送> 「週刊有線ベストヒット」で『別れの予感』を歌唱。
1988年5月31日<中継放送> 「歌謡パレード’88」で『恋人たちの神話』を歌唱
1988年6月2日 第17回東京音楽祭(17th Tokyo Music Festival)~アジアデー(5月31日〜6月3日)で『恋人たちの神話』を歌唱(写真:『花』の合唱シーン)
1988年6月12日<放送> 「演歌の花道」で『愛人』を歌唱
1988年7月5日<公開生放送> NHK「歌謡パレード'88―本日晴天?星空を歌う―」で『何日君再来』(红边绿色长旗袍,黑手套)と『 雨夜花』を歌唱
1988年7月10日<放送> 「演歌の花道」で『恋人たちの神話』を歌唱
☆1988年7月12日<中継放送> NHK「歌謡パレード’88―歌謡曲アジアの時代―」で、五木ひろし・加藤登紀子・キム・ヨンジャらと共に出演。
★1988年7月16日 别れの予感》获第21回上半期全日本有线放送大赏冠军
1988年7月21日 「歌謡パレード’88」で、『雨夜花』などを歌唱。<DVD「テレサ・テン フォーエヴァー」の日付だが、曜日も違い、間違いと思われる。>
1988年7月23日<放送> 「第21回日本有線大賞・中間発表」で『恋人たちの神話』を歌唱
★1988年8月20日 回台湾参加“光辉的八二三晚会”演出 1988.08.20 「光輝的823」
☆1988年8月23日<中継放送> NHK「歌謡パレード’88―アジアの歌ハイライト―~香港・台湾・シンガポール編~」で、シティ・ガール,サラ・チェン,サンディ・ラム,アラン・タム,ジジ・ロー,コーリー・コン,森進一らと共に出演。
1988年10月7日 TBS第8回「日本作曲大賞」(三木たかし氏入賞)で、『恋人たちの神話』を歌唱
1988年10月11日<中継放送> 「歌謡パレード'88―お父さんの好きなヒットパレード―」で『別れの予感』を歌唱。
1988年10月18日<放送> 「にっぽんの歌」で『別れの予感』『何日君再来』『北の旅人』を歌唱。
1988年10月29日<放送> NHK「加三雄山ショー―テレサ・テン,憂歌団アジア発,歌のメッセージ―」で『北国の春』『恋人たちの神話』『時の流れに身をまかせ』『愛人』『つぐない』を歌唱
1988年10月30日<放送> 「演歌の花道~恋芝居」で大月みやこと『想いで迷子』をデュエット。『つぐない』『別れの予感』を歌唱 。
★1988年10月开始定居於香港赤柱别墅
★1988年12月02日在第21回「日本有线大赏」中以《别れの予感》夺得有线音乐赏 - 于香港九龙海滨公园中转
★1988年12月08日在第21回「全日本有线放送大赏」中夺得优秀歌星奖, 演唱《别れの予感》
★1988年12月31日在香港留影
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1989年(36歳)
★1989年1月3日从香港返台
★1989年2月7日出席香港亚视“烟花照万家”,演唱《我只在乎你、爱人、漫步人生路》
1989年3月14日<放送> NHK「歌謡パレード'89―名曲・名唱のステージ―」で『別れの予感』を歌唱(1988年10月11日収録の映像を、特集の中で再放送したと思われる。)
(この映像を、「「歌謡パレード’88」(S63) 1988年10月11日」とする記述もある。)
★1989年5月13日在香港
★1989年5月27日赴香港跑马地参加“民生歌声献中华”声援会,演唱《家在山的那一边》。
1989年5月27日 香港ハッピーバレー競馬場での中国民主化支援コンサートに参加。「我的家在山的那一邊」(私の家は山の向こう)を歌唱。
1989年6月4日 六四天安門事件
1989年6月21日 テレビ朝日「郷ひろみの宴ターテイメント」第3回に、香港から衛星中継で出演?
★1989年7月发行日文单曲《香港~Hong Kong~》(Wikipediaでは1989年3月8日)
★1989年9月8日参加中国驻法大使馆门前的留学生活动
★1989年10月20日 香港より来日。成田空港での記者の「結婚?」の問いかけに否定の返答。
1989年10月25日<生放送> 「水曜スーパーテレビ/郷ひろみの宴ターテイメント」に出演。『悲しい自由』『空港』『別れの予感』を歌唱、『昴』『よろしく哀愁』『男と女に戻るとき』をデュエット、『バラ色の月』をコーラス。
1989年11月 このころ、香港からフランス・パリへ移住
1989年11月12日<放送> フジテレビ「ミュージック・フェア」に出演。南こうせつと『神田川』『時の流れに身を任せ』『僕の胸でおやすみ』をデュエットで、『悲しい自由』をソロで歌唱。『神田川』のシングル購入のエピソードを語る。
1989年11月24日<放送> TBSテレビ「テレサ・テン15周年スペシャル」に出演。トークの中で、「私はチャイニーズです」の発言。
1989年12月10日<放送> 「演歌の花道~想い出…迷い街」で、『つぐない』『別れの予感』『愛人』『悲しい自由』を歌唱。
1990年(37歳)
1990年 フランスのRFIフランス・ラジオ・インターナショナルの番組に出演。中国の非民主制を批判。
★1990年8月25-28日与林青霞及其家人在法国旅游
1990.09.05 TVB 保良局義演彩排
★1990年9月9日参加香港无线星光熠熠耀保良慈善晚会(演唱《千言万语、月亮代表我的心、漫步人生路、我只在乎你、人面桃花、小城故事》)
★1990年12月在法国剧院看演出
★
1991年(38歳)
★1991年2月於日本发行单曲《悲しみと踊らせて》。
★1991年03月08日在金门金防部迎宾馆「君在前哨」节目中演唱《人面桃花》
★1991年6月在法国
★1991年07月在香港出席「爱心献华东」慈善节目,呼吁募捐并演唱《我只在乎你》
★1991年7月6日从香港抵达日本
1991 年7月6日 1年8か月ぶりに来日(成田着)、死亡説を否定。
(下のスクリーンショットの日付「1993年7月」は間違い。)
https://youtu.be/OJuAsW6gxTo
★1991年7月10日 「HOTチャート有線」で『悲しみと踊らせて』を録画か。(放送は8月14日)
1991年7月12日 「ヒットパレード90's」で『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』『悲しみと踊らせて』を歌唱
1991年8月14日<放送> 「HOTチャート有線」で『悲しみと踊らせて』を歌唱
1991年9月 パリ(La Tour d' Argent in Paris)
1991年9月1日<放送> 「演歌の花道~過ぎし日々・・・」で、『空港』(森進一と)、『時の流れに身をまかせ』『別れの予感』『悲しみと踊らせて』を歌唱。
1991年9月8日<放送> フジテレビ「ミュージックフェア'91」で、『つぐない』『悲しみと踊らせて』を歌唱、堀内孝雄と『別れても好きな人』『いつでも夢を』をデュエット。
1991年9月17日<放送> 「歌謡リクエストショー」に出演し、『悲しみと踊らせて』『別れの予感』を歌唱。
☆1991年10月7日<放送> 「NHK歌謡ホール―秋・演歌・女ごころ―~午後のチャンネル~」で、 細川たかし・角川博・五木ひろし,川中美幸らと共に出演。(1985/10/15収録)
1991年12月31日 NHK「第42回紅白歌合戦」に3回目の出場。『時の流れに身をまかせ』を歌唱。
★1991年12月10日在泰国度假
★ ★在香港受访表示已是退休阶段,日后除慈善义演外不做公开演出。 ★ ★ ★ ★ ★
1992年(39歳)
☆1992年1月7日<放送> 「歌謡リクエストショー―熱唱リクエスト集―」に、森進一・都はるみらと共に出演。
★1992年1月8日在泰国曼谷文华东方酒店度假
★1992年1月29日搭机回香港
★1992年2月除夕返回台湾与家人欢度春节
★1992年2月11日接受华视专访
★1992年6月在巴黎纪念聚会中与众人合唱《血染的风采》及演唱《小城故事》。
1992年6月4日 パリ・トロカデロ広場での「天安門事件3周年追悼集会」でスピーチ。『血染的風采』を合唱、『小城故事』を歌唱。
1992年7月22日<生放送> フジテレビ「SOUND ARENA」で『別れの予感』『愛の陽差し~アモーレ・ミオ』などを歌唱。
★1992年8月6日 広島平和音楽祭に参加。『時の流れに身をまかせ』『何日君再来』『つぐない』を歌唱
★1992年9月出席唱片监制区丁玉婚礼并献唱
★1992年9月5日於香港亚视选美总决赛中与徐小凤、黎小田合唱《戏凤》,并独唱《漫步人生路、小城故事、★我只在乎你》。 1992.09.05 鄧麗君 「我只在乎你」(亞洲小姐)
★1992年12月推出《难忘的TERESA TENG》专辑,为个人在华人圈所推出最后一张国语专辑
★1992年12月31日香港【用爱迎接新年】节目演唱《我只在乎你》 ★ ★ ★ ★ ★
1993年(40歳)
★1993年1月于香港过年,和古琴家李祥霆合影
★1993年1月22日左右在香港电视接受黄沾专访
★3月作为特别嘉宾出席亚视节目“龙门阵”。
★1993年3月24日在台湾与家人在一起
1993年3月27日 台中清泉崗空軍基地《永遠的情人》勞軍晚會
★*5月於日本发行最后一张日文新歌单曲《あなたと共に生きてゆく》。
★1993年 05月参加香港亚洲电视台庆「今夜真情」演出
1993年7月 1年8カ月ぶりに来日
1993年12月3日 「第26回日本有線放送大賞」にゲストとして参加。『別れの予感』『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』を歌唱。
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1994年(41歳)
1994年1月8日<放送> NHK「歌謡コンサート」で『時の流れに身をまかせ』を歌唱
1994年1月9日 「演歌の花道」で、『愛人』『別れの予感』『つぐない』『時の流れに身をまかせ』『あなたと共に生きてゆく』を歌唱。
★1994年1月17日<放送> NHK「ふたりのビッグショー~なんと!演歌国際派宣言」で都はるみとステージ
☆1994年2月1日<放送> 「NHK歌謡コンサート」に、森進一・石川さゆり・堀内孝雄らと共に出演。
★1994年3月香港亚视节目
★1994年3月21日<放送> NHK「家族で選ぶ日本の歌 全国2000の家族からのリクエストを集計 "一番だけなら歌える歌""自分を励ましてくれる歌" など全20曲」で、『别れの予感』 を歌唱
1994年5月13日<放送> TBS「発表!全日本カラオケベストテン」で、『時の流れに身をまかせ』を歌唱、熊谷真実と『別れの予感』をデュエット
★1994年5月22日晚9点15分于泰国清迈夜市某音像店的留影
★1994年6月9日为歌迷签名(台湾)
★1994年6月10日参加由华视主办的庆祝黄埔建军七十年的劳军晚会「永远的黄埔」
☆1994年7月31日<放送> 「NHK歌謡コンサート~あの感動をもう一度・名場面集」に出演
★1994年8月7日于泰国清迈Imperial Mae Ping Hotel的一楼大厅前留影
☆1994年9月3日<再放送> 「NHK歌謡コンサート」
★1994年10月由法国莅临香港出席双十庆典大会,与罗大佑合唱《梅花》
1994年10月10日 フランスから香港へ。クイーンズロードのヒルトンホテルにて開催の「民國八三年雙十國慶酒會」に招待参加。その晩、「我只在乎你」「何日君再來」「梅花」を歌唱。
★1994年10月24日 NHK「歌謡チャリティーコンサート」(仙台市宮城県民会館で公開録画 11/23オンエアー)「夜来香」を歌唱。日本での最後のテレビ出演となる。
★1994年11月 参加香港亚洲电视「今日爱心睇真D」慈善节目<最後のチャリティ>
★1994年11月23日<放送> NHK「歌謡チャリティーコンサート」放送(10/24録画、司会・山川静夫)
★1994年12月25日于泰国清迈美萍酒店的最后一个圣诞节,演唱《梅花》
★1994年12月底,到泰国清莱、美斯乐,探访原国民党逃亡军人及家属。
★ ★ ★ ★ ★ ★
1995年(42歳)
★1995年1月1日在泰国 身体不适入院
★1995年1月1日,在泰国清迈“拉塔那”面店的天花板上写 with the best wishes !恭喜发财!
★*2月回台与家人团聚,感冒未愈。接受民生报记者访问。
★1995年3月23日香港亚视台庆,为最后一次在香港露面
★*5月8日赴泰国清迈旅游时因气喘病发导致心脏衰竭而猝逝。
★1995年 5月11日遗体运抵台湾
★*5月28日在全球华人目送之下长眠于金宝山——“筠园”
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2021.03.11 06:42
2021.03.10 22:17
2021.03.10 22:11